講話 1 – 1

神は“愛”であり、“愛”は神です。しかし“愛”とは何かについては誰も知りません。わたしたちはそれが存在することのみを知っています。あなたたちは愛とは何かについていろいろと理論づけをしてきたかも知れません。しかしそのようなことは行ってはならないのです。“真理”は外からの示唆なしに紐解かれるべきなのです。また、こういうものだと決めつけてもいけません。そうすることによって“真理”への道を閉ざしてしまうからです。(詩篇119篇18節、ヨハネによる福音書14章26節、ヨハネの手紙一4章7-21節)

講話 1 – 2

“愛”は全宇宙の中心です。この中心よりたゆまぬ“愛”の流れがすべての魂、すべての生きとし生けるものを通して流れています。花々を通して、動物を通して、人びとを通して、あるいは天使たちを通して、この同じ“愛”が“宇宙の中心にある泉”から流れ出て、“愛”の真の本質を永遠に表現しているのです。(ヨハネによる福音書15章12-13節、コリント人への第一の手紙13章4-8節)

講話 1 – 3

“愛”は鉱物においては結合力として、花々においてはその本質として、動物においてはその本性として現れています。人間においては愛情、友情、慈しみ、親しみ、信頼など、人と人を結ぶ絆として現れています。この“愛”を完全に悟ったとき、存在すべてが“愛”によって満たされ、すべての肉体細胞が活性化されるのです。(レビ記19章18節、申命記6章5節、詩編23編1-6節、箴言10章12節、マタイによる福音書5章43-48節、22章36-40、マルコによる福音書12章28-34節、ルカによる福音書6章31-38節、10章25-37節、ヨハネによる福音書3章16節、15章9-19節、ローマの信徒への手紙5章8節、ガラテヤ人への手紙5章22-23節、エペソ人への手紙4章32節、5章1-2節、フィリピ人への手紙 2章2節)

講話 1 – 4

世界には“愛”の他にどんな力もありません。天においても地においても、“愛”は唯一の真の“力”です。なぜなら“愛”は永遠であり、常在だからです。外なるものは過ぎ去りますが、“愛”は永遠です。 “愛”は“神の遍在” だからです。(ヨハネの手紙一 4章7-8節)

講話 1 – 5

“愛”とは何かを論じることは、“愛”の一側面でしかない精神面での議論にすぎません。“愛”とは何かを理論化することは、“愛”の力を失わせてしまいます。あなたたちは、“無限の大生命”である“愛”によって創造されたのです。“愛”とは何かをこのように理解し、悟ったとき、真の“愛”の本質が現れるのです。(ヨハネによる福音書14章26節、コリント人への第一の手紙2章10-13節、ヨハネによる第一の手紙4章7-8節)

講話 1 – 6

地上のすべての偉大な魂は、世界の至る所で、さまざまなやり方によって、この“愛”を現しているのです。(マタイによる福音書5章14-16節、ヨハネによる福音書15章12-13節、コリント人への第一の手紙13章4-8節)

講話 1 – 7

“真理”とは何かについて、さまざまな示唆が外からやってきます。しかし、外から来る示唆によって“真理”を理解することはできません。ゆえに、“真理”に関してはどのような決めつけも行ってはなりません。 “真理”は測りがたく、永遠なるものだからです。“わたし”は常在であり、 “永遠なる神性”を現しているのです。(ヨハネによる福音書14章26節、コリント人への第一の手紙2章10-13節、ヨハネの手紙一5章20節)

講話 1 – 8

あなたたちはこれを受け入れなければなりません。しかも、それが何であるとか、何ではない、などと結論づけてはいけません。(コロサイの信徒への手紙2章8節)

講話 1 – 9

覚えておきなさい、この強大なる力が、あなたたちの中で紐解かれるのを待っているのです。あなたたちはその力によって用意された器であり、あなたたちの魂は、その力が流れ出るための媒体なのです。このことを自覚することが “神人” となる秘密なのです。(ヨハネによる福音書 14:12、ローマの信徒への手紙 8:29-30、コリントの信徒への第一の手紙 12:13)

講話 1 – 10

空間とは何でしょうか。あなたたちは現在、あなたたちとあなたたちに影響を与えている心(マインド)の間の思考の伝達の速さについて学んでいます。これらの思考には距離というものは全くないのです。(ヨハネによる福音書 4:24、コリントの信徒への第一の手紙 13:12、ヨハネの黙示録 21:22)