講話 3 – 1

“キリストの声”は広大無辺に届きます。はるか彼方に、また足下に、至るところに届きます。“キリストの声”は “遍満”しているからです。父がおられるところはすべて“わたし”がいます。“わたし”がどこにいようとも、父は常に“わたし”と共におられます。

講話 3 – 2

“大いなる真理”とは、“全能の神”こそがすべてのすべてであり、万生万物は神により、 “神の子キリスト”を通してでなければ存在しない、ということです。

講話 3 – 3

世の平安は“キリスト”の内に宿っており、すべての人びとの魂が“キリストの命”(the Christ Life)に気づき、父なる神の“愛、美、強さ、叡智、力”を現すことを待っているのです。

講話 3 – 4

父のみが生き給い、父は愛であり、叡智であり、平安であり、唯一の“実在”であるというこの“真理”を認め、受け入れ、それをあるがままに現してさえいれば、あなたたち一人ひとりのすべてに常に平安と愛が留まり続けます。

講話 3 – 5

“キリストの力”は、まず気づくこと、次に実感すること、さらに、“主である神の臨在”を豊かに自覚するための静けさに浸る時間を一定期間過ごすこと、このプロセスによって開発されていきます。

講話 3 – 6

“真理”を悟るとは「神は “今ここ”に現存している」ということを知ることです。「“わたし”と父は一つである」――父は“わたし”よりも偉大ですが、父と“わたし”は一体となって働いています。“わたし”は父なしには何もできませんが、父と共であれば、父のなすすべてを行うことができます。なぜなら“わたし”と父は一つだからです。(ヨハネによる福音書5章19、20、30、36節、8章16、19節、14章6、7、9、10、11節、他)

講話 3 – 7

まず認識がなければなりません。次に悟り、静寂の時間をもつことによって、あなたたち自身の意識の中で “わたしの力”が開発されていきます。しかし、実は全宇宙に現れている“意識”はただ一つの“意識”であり、それは“命”そのものである“意識”です。“命”はその栄光を意識的に顕現させるために、あらゆる形態を創造しました。

講話 3 – 8

“命”は、“命”自身が自らの気づきを現すことができるように、人間の魂と体を創造したのです。あなたたちがこのことを本当にわかったとき、あなたたちは“キリスト力”(the Christ Power)を自分の生活の中に発動するようになります。

講話 3 – 9

あなたたちは物質的な生活や仕事から抜け出し、しばらくの間、“神の国”で安らぐべきです。あなたたちは着実に成長しており、あなたたちの生活の中に現れようとして、常に待機している“キリスト”の真の“命と力”が紐解かれつつあることがわかります。

講話 3 – 10

沈黙のうちに待機しなさい。“キリスト”が本当に自分に現れているという姿勢を堅持し、それが自分にとってどんな意味があるのかを問いなさい。このようなやり方によって着実な成長を遂げていくことができるのです。