講話 4 – 1

“わたし”は真のぶどうの木、 “わたし”の父は農夫です。“わたし”の内に常に留まり、“わたし”を通して働き給うのは父です。父と“わたし”は一つであり、決して離れてはいないからです。わたしたちは絶えず共に働き、“わたし”は父がなされるのを見て、同じように行います。(ヨハネによる福音書15章1~5節)

講話 4 – 2

実を結ぶ枝は父が刈り込みをなさいます。そうすることで、その枝はもっと多くの実を結ぶようになるのです。(ヨハネによる福音書15章2節)

講話 4 – 3

実を結ぶ枝は、刈り込みをすればもっと多くの実を結ぶということは、誰もが知っていることです。

講話 4 – 4

枝はあなたたちです。あなたたちは“わたし”が与えた“言葉”によって刈り込まれます。その“言葉”は初めにあった“言葉”であり、まさにその“言葉”が神なのです。(ヨハネによる福音書1章1節)

講話 4 – 5

あなたたちは今こそ、父なる神以外に“生ける存在”はないことを悟るでしょう。万生万物の父である神とその“霊”は、すべての生きとし生ける魂に宿っているのです。 “わたし”はその“霊”なのです。

講話 4 – 6

神は“霊”です。“単なる一つ”の霊ではなく、唯一絶対なる“霊”です。“霊”はそれ自身で完全無欠であり、自己を表現するために形態を創造し、顕現する力を持っています。あなたたちは“実在”を意識するにつれて“実在”と一つとなり、“実在”を表現するようになります。(ヨハネによる福音書4章24節)

講話 4 – 7

この気づきと覚醒は一挙にやって来るのではありません。自分の中でどのように成長していくのか、それに気づくようになるでしょう。熱心に理解を深め、継続的な目覚めに努めることによって、魂の内に覚醒が生じてきます。魂は自己の内に宿っているのは“神の霊”であり、これこそが天と地における唯一の“生ける創造力”であることに気づき始めるのです。

講話 4 – 8

あなたたちは“わたし”が与えた“言葉”によって、すでに刈り込まれているのですから、“わたし”の名によってさらに多くの実を結ぶことができるのです。

講話 4 – 9

“わたし”はあなたたちと共にあり、あなたたちは“わたし”と共にあります。ぶどうの枝が木につながっていなければ実を結べないように、あなたたちも“わたし”につながっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネによる福音書15章4節)

講話 4 – 10

“キリスト”だけが、“実在”の内で語る力を持っています。ゆえに、“キリスト”の名によって語りなさい。そうすれば、あなたたちの“言葉”があなたたちのもとに空しく戻って来ることはありません。